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福岡高等裁判所宮崎支部 昭和29年(ネ)40号 判決

控訴人(附帯被控訴人)(原告) 金川直砥

被控訴人(附帯控訴人)(被告) 国

訴訟代理人 今井文雄 外一名

主文

控訴人の本件控訴を棄却する。

附帯控訴に基き、原判決中附帯控訴人勝訴の部分を除き、その余を取消す。

附帯被控訴人の請求は、これを棄却する。

訴訟費用(附帯控訴費用を含め)は、第一、二審共控訴人の負担とする。

事実

控訴人(附帯被控訴人以下単に控訴人と略称する)は、原判決中、控訴人勝訴の部分を除き、その余を取消す。被控訴人は控訴人に対し、宮崎県串間市大字本城字新潟八、一三六番の一原野、同所八、一三六番の二宅地を囲繞する外堤防並びに同所八、一三一番原野、同所八、一三二番原野、同所八、一三三番池沼、同所八、一三四番池沼、同所八、一三五番乙イ池沼、同所八、一三五番乙ロ池沼を囲繞する外堤防は、共に控訴人の所有なることを確認する。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。との判決並びに附帯控訴棄却の判決を求めた。

被控訴人(附帯控訴人以下単に被控訴人と略称する)指定代理人は、本件控訴を棄却する。との判決を求め、附帯控訴として、原判決中被控訴人勝訴の部分を除き、その余を取消す。控訴人の請求は、これを棄却する。訴訟費用は第一、二審共控訴人の負担とするとの判決を求めた。

当事者双方の事実並びに法律上の主張は、次のとおりである。

第一、控訴人の主張

控訴人は大正一五年八月二〇日先代亡金川今朝寿の隠居により家督相続をし、一切の権利義務を承継したものであるが、控訴人先代は明治二三年一二月頃当時福島町今町居住の林忠七から串間市大字本城字新潟所在の田地約四町歩を買受ける際には、代田川に面する該田地を防護せる同人築堤の外堤防及び耕地を直接保護せる内堤防全部をも含めて買受けたものであるが、該田地は、本城川と代田川両河川合流し、有明湾にそそぐ河口に位置しているため、水害、潮害等により、毎年収獲皆無となるので、別紙図面表示の(ハ)(ニ)間を明治二五年頃築堤し、次いで、明治二七年二月頃隣接の廃塩田を当時福島町今町の訴外神戸辰蔵、本田幾太及び日高万作等から買受け、なお、明治二八年二月二二日同所元八、一三六番の溝敷四反一五歩を宮崎県から払下を受けたので、本件新潟字の八、一三六番の一原野同所八、一三六番の二宅地を囲繞する外堤防及び内堤防並びに同所八、一三一番原野、同所八、一三二番原野、同所八、一三三番池沼、同所八、一三四番池沼、同所八、一三五番池沼、同所八、一三五番乙イ池沼、同所八、一三五番乙ロ池沼を囲繞する外堤防及び内堤防の内外提防には堅固な石垣を築き、又土堤石羽根等を構築強化し、潮水の侵入を防ぎ、且つ、内堤防を修築強化し、もつて、前記田地を防護したため、その後は充分な収護を得ることができるようになつたので、別紙図面表示の(ホ)点には家を建て、亡築瀬今朝蔵をして居住させ、前記塩田を利用して製塩業を営ませると共に前記堤防一切を管理させ、同人死亡後は同図面表示(ト)点に家を建て、山下善四郎をして堤防の管理と田地の耕作をさせていたものである。しかし、その後も水害多く、殊に昭和一三年の大洪水の際には、同図面表示の(ヘ)点附近は大決潰し、刈稲の流失等により収獲は皆無であり、次いで昭和一九年の大風水害の際にも堤防の決潰により同様の状態であつたが、控訴人はその都度小作人等と協力して堤防(同図面表示の(ヘ)点の水門附近及び(リ)点附近)の復旧にあたつたものである。しかして、昭和一九年の風水害により海水侵入し、荒廃田となつた約一町四畝歩の田地には、大分、宮崎地方から七島藺を移人栽植していたところ、昭和二四年一一月突如として当時本城村農地委員会から右約一町四畝歩は農地法により買収する旨通知を受けたので、これに対し異議申立をし、その申立は却下されたが、更に当時宮崎県農地委員会に訴願したところ、同会副委員長松浦義美は同会の治田書記を帯同してきて、調停の労をとつた結果、次のような条件をもつて解決したのである。即ち、

(イ)  七島藺を植えてある一町四畝歩の内、道路より三枚目までの約三反歩は控訴人の娘(猪俣幸)の所有を認める。

(ロ)  残余の約七反四畝歩は農地法により買収する。

(ハ)  耕地を囲繞する内堤防は耕地の農業用施設として買収する。

というのであつた。かようにして、控訴人は右田地以外の田地も、殆んど全部農地法により買収せられたため、これを保護すべき外堤防及び内堤防を所有すべき必要がなくなつたので、右(ハ)掲記の事実もあつた関係から昭和二四年一一月三〇日附をもつて県当局に対し、買上げ方請願したが、県当局はこれに対し何等の採決をしないま本件外堤防及び内堤防は共に国有であると主張し、外堤防に対し修築工事を施しているのである。

仮りに、右主張が容れられないとしても、別紙図面表示のBCの各点を経てD点に至る部分は元国有地であり、その部分の実地堤防はもと控訴人先代が国有地の部分に築造したことは認めるが、元来、本件堤防は塩田及び溝敷と共に控訴人先代から控訴人に至るまで、いずれも、所有の意思をもつて平穏且つ公然に、しかも占有のはじめ善意無過失にて占有してきたものであるから、取得時効により控訴人においてその所有権を取得したものである。それで、控訴人は、本件外堤防及び内堤防は共に原告の所有なることの確認を求めるため、本訴に及んだものであると述べた。

第二、被控訴人の主張

被控訴代理人は、控訴人の家督相続の関係、控訴人先代がその主張の頃串間市大字本城字新潟八、一三六番の溝敷四反一五歩を宮崎県から払下を受けたこと、同所新潟字の控訴人所有農地の大部分が政府に買収されたこと、控訴人がその主張の日時頃宮崎県に対して本件堤防の買上申請をしたこと、宮崎県が本件堤防に修築補強工事をしていることは認めるが、本件堤防が控訴人の所有であること、本件堤防を控訴人先代及び控訴人において構築、維持修理して占有してきたことは否認する。

しかして、本件堤防は古くから(遅くとも明治二〇年頃より)存在しているが、その南側を東西に流れる河川法にいわゆる準用河川たる本城川の河川附属物として、串間市大字本城字新潟地区一帯の農地及び道路等を本城川の潮水害から防護している公共用物件であつて、本城川と同様に国有であり、私人の所有ではない。しかも、公共用物件は民法上の取得時効の目的とはなり得ないから、本件堤防につき、本城川の管理者たる宮崎県知事が昭和二六年度の河川防災対策工事として、その修築補強をするのは当然である。それで、仮りに、控訴人の方において、その所有にかかる多数の農地を潮水害より護るため、本件堤防を修理した事実があるとしても、それをもつて本件提防は直ちに控訴人の所有であるとは言い得ないから、控訴人の本訴請求は失当であると述べた。

〈証拠 省略〉

理由

控訴人の家督相続の関係、控訴人先代がその主張の頃串間市大字本城字新潟八、一三六番の溝敷四反一五歩を宮崎県から払下を受けたこと、同所新潟字の控訴人所有農地の大部命が政府に買収されたこと、控訴人がその主張の日時頃宮崎県に対して本件堤防の買上申請をしたこと及び宮崎県が本件堤防に修築補強工事をしたことは当事者間に争がない。

よつて、次のとおり審按する。

第一、控訴人主張の外堤防関係について。

日南簡易裁判所昭和二六年(ナ)第一四号証拠保全の申立事件における証人築瀬今朝蔵及び同山下善四郎、原審証人日高岩助、(第一、二回)同水元丑松、同国府政助、同田中義男及び同川崎忠雄並びに当審証人日高惣兵衛、同日高岩助、同川崎忠雄及び同渡辺勇の各証言に徴すれば、控訴人主張の別紙図面表示の(A)(B)の各点を結ぶ外堤防は、控訴人先代金川今朝寿が明治二三年頃訴外林忠七から串間市大字本城字新潟の田地約四町歩を買受けて以来、控訴人の代に至る昭和一九年頃迄、右田地に対する潮水害を護るため、その決潰の度毎にこれを修築してきたことが認められる。右認定を左右するに足る被控訴人の証拠はない。

しかして、控訴人は本件外堤防は控訴人の所有であり、殊に別紙図面表示の(A)(B)間の堤防は、林忠七からその田地と共に買受けた旨主張し、前掲証人はその主張に副うような証言をしているが、却つて、成立に争のない乙第一乃至第五号証(乙第一、三号証は各一、二、乙第二号証は一乃至一一)原審並びに当審受命裁判官の検証の結果、原審証人中村今朝市、同中村市助、同山田貞義及び同内田博已の各証言を綜合すれば、本件外堤防は本城川の河口に位置し、(別紙図面表示の(A)(B)間の堤防は本城川と代田川との合流点に臨む)同河川の附属物として、古くから本件堤防の形態があり、公共用物件であつたが、昭和四年八月九日宮崎県告示第二七五号により、本城川は河川法第五条により河川法の規定を準用する河川と認定されたため、従来本城川の附属物として存在していた本件堤防も、いわゆる準用河川附属物として、串間市大字本城字新潟地域一帯の農地、道路等を潮水害より防護する公共用物件たる性格を判然させたことが認められる。右認定に反する前段掲記の各証人の証言は前記証拠と比照したやすく信用がおけない。他に右認定を覆し、控訴人の主張事実を認めるに足る証拠ない。されば、控訴人先代が別紙図面表示の(A)(B)間の外堤防を林忠七からその主張の田地と共に買受けたとしても、その主張の外堤防は前認定のとおり公共用物件であることが認められるので、売買の目的とはなり得ず、その売買は無効であり、しかも、控訴人がその主張のように、宮崎県から本件附近の同所字新潟八、一三六番井溝敷地の埋立を許可され、後日これが払下を受けてその所有権を取得し、しかして、前認定のとおりの外堤防の修築等なした事実があるとしても、それをもつて、本件外堤防は当然控訴人の所有に帰属するいわれのないこと多言を要しないから、控訴人の右主張は認容することを得ない。

第二、控訴人主張の内堤防関係について。

控訴人は、本件内堤防は、控訴人先代が林忠七からその主張の田地と共に買受けたものであり、控訴人の所有に属するものであると主張するが原審証人本部敏則及び同内田博已、当審証人荒木武徳及び同来秀哉の証言を綜合すれば、別紙図面表示の(B)(E)(D)を結ぶ堤防及び(E)(F)を結ぶいわゆる内堤防は、本城川の河口が広く、海が近いため、前段認定の外堤防だけでは高潮のときその堤防を越えて内側に潮が侵入し、水田は勿論道路までも潮害のおそれがあるので、それを防ぐため存置されているものであるが、元来、民有地は、土地台帳法等により有祖地、免租地を問わず、堤防や道路であつても登記所及び市町村役場に備付けの土地台帳に登録され、字図に記載されているのであつて、必ず双方共に地番が附されているが、官有地は土地台帳法の適用がないため、土地台帳には全然登録されず、地番も附されていないのが原則であり、例外として、民有地に挾まれた箇所、隣接している箇所、堤防、河川、道路、井溝等民有地を図示するに必要な箇所だけは地番が附されるという関係になつているところ、右証拠によれば本件内堤防は地番もなく、土地台帳にも登載されていないことが認められるので、民有地ではなく、官有地であると認定するのが相当である。右認定に反し控訴人の主張に副う原審証人日高岩助(第一、二回)、同水元丑松、同国府政助、同田中義男、及び同川崎忠雄、当審証人日高岩助、同日高惣兵衛、同川崎忠雄及び同渡辺勇の各証言は右証拠と対比し、当裁判所の信用しないところである。控訴人提出援用にかかる甲号各証によつても右認定を翻すに足りない。他には控訴人の右主張事実を認めるに足る証拠はない。されば、よしんば、控訴人先代が林忠七から本件内堤防を買受けたとしても、その内堤防は前認定のとおり官有地であることが認められるので、売買の目的とはなり得ないから、その売買は無効であり、これが所有権を取得するに由ないものといわざるを得ない。よつて、控訴人の右主張も採用するに由ない。

なお、控訴人は、本件内堤防は控訴人の農地買収問題につき県に訴願した際、当時宮崎県農地委員会会長代理松浦義美において控訴人の所有であることを認め、県においてこれが買収をすることを条件として、右問題は解決した事実があるから、本件内堤防は控訴人の所有であることは明らかであると主張するが、しかし原審証人内田博已並びに当審証人来秀哉及び同治田郁夫の証言を綜合すれば、本件内堤防について、控訴人から買収方の申出があつた際には、本件内堤防は地番のない土地であり、字図にも登載されていなかつたが、本件堤防は、買収された外の農地にも関係するところが多く、その維持管理には農地所有者の方でするのが妥当であるから、将来はなるべく関係農民が所有し、維持管理する方向に持つて行くように県が努力はするが、本件堤防の維持管理については控訴人も費用を出しているので、費用弁償として若干で済ますようにした方がよかろうという程度の話があつただけで、本件堤防は控訴人の所有であることを認め、これを県において買収するという条件で、その主張のような農地買収問題が解決されたものとは到底認め得ないところである。右認定に反する原審並びに当審における証人川崎忠雄の証言は、右証拠と比照し、当裁判所の信用しないところである。他に右認定を覆し、控訴人の主張事実を認めるに足る証拠はない。結局、控訴人の右主張も理由がない。

第三、控訴人の取得時効の主張について。

控訴人は、以上の主張はいずれも理由がないとしても、本件外堤防及び内堤防は控訴人先代から控訴人に至る昭和二五年迄、引続き控訴人において所有の意思をもつて、平穏且つ公然に、しかも占有のはじめ善意無過失にて占有してきたから、取得時効によりその所有権を取得したものであると主張するが、本件外堤防及び内堤防は、共に田地及び道路を防護すべき公共用物件として、従来より存在価値があること、前認定のとおりである。しかして、本件各堤防につき、国において公用廃止の意思を表示した形跡はないから、本件各堤防は、なお国の公共用物件であるといわざるを得ない。しかも、公共用物件である土地は民法上の取得時効の目的とならないこと被控訴人主張のように判例も明らかにするところであるから、控訴人がその主張のような事由により、本件各堤防を占有してきたとしても、取得時効により、これが所有権を取得すべき筋合のものではないから、控訴人の右主張も理由がない。

よつて、控訴人の本件控訴は理由がなく、附帯控訴に基き、原判決中被控訴人勝訴の部分を除く、その余の控訴人の請求も失当であるから、いずれもこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九五条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 山下辰夫 長友文士)

別紙図面〈省略〉

弁論に代る準備書面(被控訴人 国)

第一、本件堤防敷地は民有地ではないから控訴人の先代がこれを買受けた事実はない。

一、控訴人は、本件堤防の一部は、控訴人の先代今朝寿が、林忠七その他数名の訴外人から買受けたものであると主張するが、そのような事実はなく、かえつて本件堤防敷地がいまだかつて私有地となつた事実がないことが明らかな資料がある。すなわち乙第一号証の一、二(宮崎地方法務局本城出張所備付土地台帳附属図)によれば、堤防にあたる敷地は他と区別して表示され、かつ地番の設定もないうえに、乙第五号証によれば土地台帳に登載された事蹟もなく、従つて課税対象にもされていない。

殊に堤防の一部(当審における検証調書見取図面のうちA点よりB点を経てE点に至る部分)は、乙第二号証の一乃至十一、乙第三号証の一、二を併せみるに、その官有地となつていることが明白であり、その余の本件堤防もこれと一体をなし何等異次る状況にはないのであるから、いずれも国有地であることは疑いない。わが国において官民有地の区分の問題が取りあげられたのは、古く明治初年の地租改正に遡るが、民有地に地租を課する必要から、明治七年大政官第百二十号布告により「地所名称区別」が発せられ、官民有の区分を明確にする調査がなされた。その際道路堤塘等については「従前民有ニアラサルモノハ官有地第三種トナシ其民有地ニシテ地税ヲ納ムルモノハ蜀除し民有地第三種ト定メ」ることとしており(別紙明治八年七月八日地租改正事務局議定出張官員心得書御参照)、当時本件堤防が民有地であるとされているならば、地籍台帳(後の土地台帳)附属図面に表示され、かつ地租を課されていた筈であるにかかわらずその事実はない。(ちなみに、官民有区分処分は、行政処分であつて、当時民有地に編入されなかつたものは、明治三十二年法律第九九号国有土地森林原野下戻法所定の期限経過後は、その土地は国有と確定したものである。)

従つて本件堤防敷地は私有地ではなく、控訴人先代が訴外人等からこれを買受けて所有権を取得することはありうる筈はないのである。

二、また、控訴人は本件外堤防の一部は控訴人の先代において明治二十年代にこれを築造したものであるとも主張せられる。しかしながら、元来堤防は土地の一部に過ぎず、社会観念上土地所有権と離れた独立の権利の客体ということはできないものであるから、仮りに控訴人の先代においてこれを築造したとしても(控訴人の先代が築造したものでないことは後述する)、単にそれだけの事由で本件堤防敷地の所有権を取得することはない。

第二、本件堤防は、その外堤防たると内堤防たるとを問わず公の営造物であるから、取得時効の対象となる物件ではない。

一、本件堤防は、串間市大字本城の南西部において、本城川が代田川と合流して有明湾に注ぐ河口近くにあり、いわゆる内堤防と外堤防から成り、堤防より下流は、本城川の川巾が広くなり一見湾状を呈しているため、堤防上より直ちに外海が望見せられ、その間に防波堤等ないので、台風等による高潮または河川の増水の場合には、相当の高浪が押寄せ、海水が外堤防をこえて侵入する状態にあり、そのためにその内側にある内堤防と一体をなして内堤防内側の数十町歩に及ぶ耕地を潮水害から防護しているのである。(この事実は当審における検証の結果明らかである。)従つて本件堤防は、内外一体をなして附近農耕地等を防護する作用を果すべき物件であり、直接に公の目的に供用されているものというべく、単に外堤防だけが公の営造物であるということはできない。

控訴人は、本件外堤防のうち、西方は代田川の流域に属し、代田川は河川法にいわゆる河川ではないからその部分の堤防は公物ではないと主張するもののようであるが、河川法の適用ないしは準用のない河川の堤防にあつても、公共の用に供される性質を帯びる以上は公物性を失われない。本件堤防が前記のような機能を有する限り、その如何なる部分といえども公共性を欠く非公物であるとはいえない。

二、原審判決は、もともと本件堤防が潮水害防護のため河口に設置され内外一体をなした不可分の施設であることを看過され、内堤防だけを切り離してその性質を論じておられるが、外堤防が公物で、内堤防は公物ではないと考えることはできないと考える。原審判決は、内堤防についてつぎのように判示しておられる。すなわち、

内堤防は原告が「原告主張の日時頃より原告先代がこれを構築し、原告先代没後は原告においてこれを占有し管理してきたこと、而してこの堤防の北側にある土地を国において買収した後、原告がこれに対し本城村農地委員会に異議を申し立てた処却下せられたので、宮崎県農地委員会に訴願したところ同委員会は右堤防を農業用施設として原告より買上ぐることを承認したことが認められ、公共的営造物たる性質を有せず、又河川用敷にもあらず、従つて国の所有地にあらずして寧ろ原告の所有地の農業用施設として原告の所有に属するものと認められる。」

このように判示して内堤防のみは公物ではないとされる。しかしながらこの見解には承服しがたい。原判決の内堤防の公物性を否認せられる論拠が、本件内堤防を控訴人の先代が築造し維持管理した点にあるのか、県農地委員会がこれを農業用施設として買上げることを承認した点に求められるのか、しかく明確ではないが、以上の認定は事実にも反するし認定にかかる事実関係自体からもただちには内堤防が公物ではないという結論は得られないと考える。

(1)  内堤防は控訴人先代が築造したものではない。

原判決は内堤防は明治二十三年頃より以降に、控訴人の先代がこれを構築したものであると判示され、一、二審の証人等のうち原審の証人水元丑松一名のみがこれに副う供述をしているが(原審の同人に対する調書第七項)、同人の証言は、何時ごろ如何なる方法で控訴人の先代がこれを構築したか等何等具体性のないもので、供述の態様経過からみて信頼しがたいものであり、そのほかにはこれを証する証拠はない。

かえつて乙第一号証の一(字図)には、明らかに該当部分に堤防の表示があり、同書面は明治二十年ごろ作成されたものであることが原審証人本部敏則の証言によつて明らかであるから、内堤防が同号証の成立の時期以後たる控訴人主張の年代に控訴人の先代があらたに構築したものではないことは明白である。なお、(控訴人も本訴において同堤防は同人の先代がこれを修築強化したものであると主張しているに過ぎない(昭和二十七年二月二十一日付訴訟拡張の申立書第一項)ものである。)

(2)  宮崎県農地委員会が堤防を農業用施設として買収することを承認したことはない。

原判決は、県農地委員会が内堤防を農業用施設として買上げることを承認したと認定されるが、事実はつぎのとおりである。

本件堤防の北側の本城村字新潟所在の原告所有農地の大部分が政府に買収されたので、猪俣幸(控訴人の娘)がこれを不服として村農委に対する異議の手続を経て宮崎県農地委員会に訴願し、あわせて控訴人より本件堤防の買収を申し出ていた(以上は当事者間に争がない)ところ、昭和二十五年二月二十七日県農委の副委員長松浦義美が県の職員治田郁夫とともに調査のため現地に赴き、村農委の委員や控訴人等関係者の参集を求めその意見を徴した。その際控訴人より買収の違法なこと及び本件堤防を自己の所有物件であるとして買収されたい旨の強い要望がなされたが、同委員はもとより訴願の裁決権及び堤防買収の権限はないのであるから、控訴人の要望について決定をあたえることなく、控訴人の主張する趣旨に副つた解決の方法を委員会において報告し善処するといつた程度の言明をなしたに過ぎず、控訴人主張のように、堤防の買収を条件として訴願人の譲歩を求めた事実はないし、同委員の言明がただちに県農委の買収の承認になる訳でもない。堤防を買収するには法令の定むるところにより正規の権限ある行政庁による買収計画を経なければならない。その後引き続き県及び村農委において堤防の所有者の調査がおこなわれたが、遂に控訴人の所有である事実が認められないために同人の買収申出は容れられるところとはならず、もとよりこれに対する買収計画は樹てられてはいない。当番における証人来秀哉、同治田郁夫の証言に徴してもこのような事実は明白だある。

(3)  原判決は、その判文上は明確ではないが、あるいはこう判示する趣旨かもしれない。

すなわち、県農委の委員が本件内堤防の買収を承認し、一方では村農委においてもこれに異存がなかつたこと、こういう事実がある以上内堤防が公共物件でなく控訴人個人の農地のための施設であると認める。

こういう趣旨であるとしても、公物であるかどうかは関係者の考えや態度で決まるものではなく、たとえ農地委員会または農地委員がどう考えたとしても同様である。堤防管理の権限ある行政庁において用途廃止の決定がなされない限り、公の営造物たるの性質を変ずる訳のものではないからである。

三、公共の目的に使用される物件は、正式な用途廃止の意思表示のない限り、民法上の取得時効の目的となり得ないことはいうまでもない。しかもこれはすべての公物にわたるものであつて、その公物に私法上の所有権の成立し得ない、たとえば河川敷地(河川法第三条)たると所有権の成立し得る、たとえば道路(道路法第三条)たるとを問わない(私人の所有を認められる公物について取得時効の成立を否定する判例として、里道につき大判大正八年二月二四日判決民録二五輯三三六頁、道路につき大判大正一〇年二月一日判決民録二七輯一六〇頁、下水敷地につき大判昭和四年一二月一一日判決民集八巻九一四頁御参照)。

してみれば本件堤防の一部が準用河川たる本城川の流域に接し他の部分が然らずとしても、現に内外堤防が一体をなして原告所有農地のみならず附近一帯の数十町歩にわたる土地を潮水害から護るための施設たる状況にある以上は、その如何なる部分といえども取得時効の対象たる物件とはいえない。

もつともその堤防のある部分は、長年の間控訴人またはその先代の補修するにまかせていたが、そうであるからといつて補修によつて堤防の機能が全く性格を異にした訳ではなく、まして堤防の管理庁において用途廃止をしたことにもならない。

第三、控訴人及びその先代には本件堤防に対する自主占有はないから取得時効の要件を充たさない。

一、控訴人及びその先代は本件堤防を所持したことはない。

控訴人は堤防をその先代の時代から修理してきたと主張せられるが、そのような事実だけではいまだこれを所持したということはできない。一般に道路、下水路、堤防等はこれにより利益を受ける附近住民が、これを修理することは往々にしてあることであつて、たとえば道路の地盛りをし、市街地にあつては私費をもつて街燈を点じ舗装をなし、あるいは下水路を浚渫する等、受益者による補修は稀ではないが、そうであるからといつてただちにこれ等を目して社会観念上受益者において物件を所持しているとは言い得まいと考えられよう。控訴人またはその先代が本件堤防を補修した目的は、堤防附近の農地、塩田等の利益のために潮水害の侵入を防ぐためであつたに過ぎず、いわば自己の土地を護るための自救行為であり、堤防敷自体を耕作する等直接にこれを利用収益していたものではないから、これをもつて堤防に対する国の支配を排除して控訴人側において所持していたものということはできない。

二、控訴人先代には堤防敷地に対する所有の意思はない。

控訴人の先代が本件堤防敷地を所有する意思のなかつたことは、つぎの諸事実によつて明らかである。

(1)  控訴人先代は、明治二十八年頃、本件堤防にかこまれる土地の一部の埋立をおこなつているが、その埋立は明治二十四年県令第五号水面埋立心得(乙第三号証の一)に従つてなされており(乙第二号証の一及び九)、同心得には堤防は官有であることが明言してある。

(2)  本件堤防敷地は、登記簿上その隣接地と明確に区別されているにかかわらず控訴人先代において保存登記もなされず、かつ地租を納めた事実もない。

(3)  本件堤防敷地は公簿上私有地の表示がなく、地租改正当時官有地に編入されているが、控訴人先代において自己の所有地と考えたのであれば、明治三十二年法律第九九号国有土地森林原野下戻法所定期限までに下戻の申請ができた筈であるのに、これがなされていない。

(4)  なお、控訴人先代が堤防を補修したことは、同人が提防を所有する意思を去示したことにはならない。堤防の補修の目的は前記のとおり、自己の所有地の利益のために、これを潮水害から護るためであり、控訴人先代は堤防附近農地の地主として率先して補修材料等を提供し、小作人等をして労力を供給せしめてこれを修理したに過ぎないから、このような事実をもつて、同人の堤防所有の意思表示ということはできないと考える。けだし堤防を補修するためには、これを所有する必要はないからである。

以上の事実は、控訴人先代が本件堤防を所有する意思がなかつたことを物語るものである。ところで控訴人は、先代の相続人であるが相続によつては先代のこのような堤防に関する関係を変ずるものではない。

控訴人先代において所有の意思のない限り相続人たる控訴人は、自らも所有の意思があつたものと主張することを許されないのである。すなわち相続をもつて民法第百八十五条後段にいわゆる新権原による占有の開始ということはできない(大判昭和六年八月七日判決民集一〇巻一〇号七六三頁)うえに、相続人は常に自己の承継した前主の占有の性質及び瑕疵を離れて主張することも許されず(大判大正四年六月二三日判決民録二一輯一〇〇五頁)、控訴人先代において堤防に占有があるとしても、先代において所有の意思がない限り、控訴人は自主占有者たるの主張が許されないからである。

第四、結論

以上のとおり本件堤防敷地は国有地であり、控訴人においてこれを時効により取得したこともないから、附帯控訴の趣旨どおりの判決を願いたい。

(昭和三〇年一二月一一日付)

(別紙)地所処分仮規則ノ内地種名称区別〈省略〉

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